第169話|データ分析・活用のメリットを疑われたら、当たり前の結果を当たり前に出さないといけない

第169話|データ分析・活用のメリットを疑われたら、当たり前の結果を当たり前に出さないといけない

データを使うことに不慣れな組織や人の場合、データから導き出された結果に対し極端な反応をします。

あり得ない期待を抱くか、もしくは無関心(期待0)か、のどちらかです。

なぜ両極端に振れるのか分かりませんが、その振れ具合が最近大きくなっています。

今回は、「データ分析・活用のメリットを疑われたら、当たり前の結果を当たり前に出さないといけない」というお話しをします。

両極端に振れる

現実を見ていないというのは、恐ろしいものです。

現実とは、データ分析・活用とはどのようなものかという現実です。

この現実を見ていない場合、組織レベルと言うよりも、人レベルで両極端に行ってしまいます。

  • 1つは、あり得ない期待を抱くケースです
  • もう1つは、無関心(期待0)なケースです

無関心(期待0)なケースよりも、あり得ない期待を抱くケースの方がいいのではないか、という考え方もありますが、それはそれでヤバいです。

あり得ない期待を抱くケース

データ分析やデータサイエンス、ビッグデータ、機械学習、AIに対し、あり得ない期待を抱く組織や人は、確かにいます。

データと真摯に戯れたことのある人であれば、そのような幻想を抱くことは、先ずありません。

あり得ない期待とは、「魔法」や「切り札」、「突破口」などと言った期待です。

このような期待は持たない方がいいでしょう。

なぜならば、多くの場合あり得ないからです。

データ分析・活用の多くは地味な改善

データ分析・活用の多くは地味な改善です。

例えば……

  • 日々の業務の改善
  • 提供サービスの改善
  • 製品の改善改良

……などなどです。

例えば、AmazonなどのECサイトが、購買履歴や商品の閲覧履歴などを利用して商品レコメンドをするエンジンを利用していることでしょう。

リアル店舗であれば、店員さんがお客さまに商品をレコメンドしたりします。それを、Web上の店舗でレコメンドエンジンを使い商品をレコメンドします。

恐らく、データを使って商品レコメンドという業務(もちろん、人ではなくコンピュータの業務)を日々改善していると思います。

それを手作業で改善するのか、コンピュータで自動で改善するのか、という問題はありますが、地味な改善活動をデータを使い実施していることでしょう。

無関心(期待0)の壁

次に、無関心(期待0)なケースです。

データの有無や質、データ分析の実施の有無や質、データサイエンティストの有無や質、そもそものIT環境の整備状況など全く関係なく、現場が無関心(期待0)の場合、データ分析・活用はあり得ません

そのような場合、どのようにすればいいのでしょうか。

私の結論は、「当たり前の結果を、当たり前に出す」ということになります。

では、「当たり前の結果を、当たり前に出す」とは、どういうことでしょうか。

当たり前の結果を、当たり前に出す

無関心(期待0)なケースの場合、データマイニング的な分析結果として「データから発見した何か」を、現場に持っていても総スカン状態になります。

感覚と合わない

この一言で撃沈です。

であれば、先ずは「当たり前の結果を、当たり前に出す」ことをした方がいいです。

現場から……

  • 分かる、分かる
  • 感覚と一致する
  • やっぱり

……このようなフレーズが飛び出すと、一歩前進です。

このフレーズを出すには、データから「当たり前の結果を、当たり前に出す」ことを実施するだけです。

その先にすべきこと

データから「当たり前の結果を、当たり前に出す」ことを実施し、現場から「分かる、分かる」「感覚と一致する」「やっぱり」のようなフレーズが飛び出たら、次にすべきことがあります。

それは、「データ分析だから導き出せた何か」を提示することです。

例えば、法人相手のビジネスの場合、顧客の離反を防ぐために「訪問」が有効であることは、営業の現場の人は何となく知っています。

そのことを、データから導き出せば、「やっぱり、そうだよね」と言われることでしょう。

そこまでは、データを分析しなくても、現場の人も感づいています。

そこで、次のような「データ分析だから導き出せた何か」を、現場の営業パーソンに提示しことがあります。

それは、「離反される訪問回数の閾値」です。

年間何回訪問すればいいのかの「目安」を、データを分析し提示したということです。

今回のまとめ

今回は、「データ分析・活用のメリットを疑われたら、当たり前の結果を当たり前に出さないといけない」というお話しをしました。

データを使うことに不慣れな組織の場合、データから導き出された結果に対し極端な反応をします。

あり得ない期待を抱くか、もしくは無関心(期待0)か、のどちらかです。

なぜ両極端に振れるのか分かりませんが、その振れ具合が最近大きくなっています。

無関心(期待0)なケースの場合、「当たり前の結果を、当たり前に出す」といいでしょう。

それだけだと、「当たり前のことが分かっただけだよね」となりますので、「データ分析だから導き出せた何か」を提示することが必要になります。

要するに、当たり前のことをデータから示し共感を得、さらに深いことをデータ分析で導き出す、ということです。