第177話|データにもとづくポリティクスと意思決定

第177話|データにもとづくポリティクスと意思決定

状況が読めないときほど情報を収集し、適切な状況判断のもと意思決定をし、状況の変化とともに柔軟に対応していくことが、求められることでしょう。

思惑や願望ではどうにもならないことも多いです。

ここ数カ月の新コロナ騒動などその最たる例かと思います。

自然を相手に、政治的な思惑や人々の願望は届きません。

今回は、「データにもとづくポリティクスと意思決定」というお話しをします。

衆愚政治

衆愚政治と聞くと、古代ギリシアのアテナイの末期が思い浮かびます。

民主主義を揶揄して用いられる言葉です。

Wikipediaによると……

有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても、適切なリーダーシップが欠如していたり、判断力が不十分な人間に参政権が付与されている状況。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況を指す。

また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。エゴイズムは自己の積極的利益の追求とは限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主義、課題の先延ばしなどを含む。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%86%E6%84%9A%E6%94%BF%E6%B2%BB

……という説明がなされていました。

なかなか耳の痛い説明ですが、英国の大昔の首相のチャーチルは……

民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが

……と述べました。

今のところ、民主主義が最良であるとも解釈できます。

人相手のポリティクスの限界

投票し政治家を選ぶというシステムでは、自ずと人相手のポリティクスになってしまいます。

ビジネスもそうです。人がモノやサービスを購入するのですから、自ずと人相手になります。

ポリティクスで考えると「票になるかどうか」、ビジネスで考えると「お金になるかどうか」ということが、重要視されることでしょう。

そう考えると、自然災害相手のポリティクスは成り立つのか、という命題が登場してきます。

自然災害相手のポリティクス

紀元前の古代中国・春秋時代の大国である斉の国家方針の1つとして……

水を治めるものは国を治める

……というものが有名です。

このような自然災害は、社会秩序や経済に打撃を与える人々の生活を不安に陥れるからです。

この場合は、水害や干ばつなどを指していますが、もう少し拡大し自然災害とすれば……

自然災害を治めるものは国を治める

……となるかもしれません。

自然災害を治める」とは、自然災害の災禍をできるだけ小さくすることです。

そう考えると、自然災害相手のポリティクスは成り立つ、となるかと思います。

成り立つどころか、それがポリティクスの本分ではないかとさえ感じます。

要は、ファクトを正しく捉え洞察し意思決定するしかない

ここで、天下国家を論ずるつもりもありませんし、日本や諸外国の政府や政策にどうこう言うつもりもありません。

自然災害相手に、人相手にしたような対処をしたところで政治的な思惑は通じません。

非常に単純なことですが、意外と難しいことでもあります。

人相手にするとき、ファクトを捻じ曲げ納得させてしまおうというケースが多々見受けられます。

しかし、自然災害相手にファクトを捻じ曲げてしまうと大変です。自然災害は、人がファクトを捻じ曲げようがお構いなしです。

もはや、データにもとづくポリティクスと意思決定が求められているのではないかと思います。

データにもとづいたデータドリブンなビジネス

これは、ポリティクスの世界だけの話しではありません。ビジネスの世界も同様です。

治水であれば土木関係、疫病であれば医療関係など直接的な災禍に関わるビジネスでない限り、10年に1度、50年に1度、100年に1度など極たまに鹿にしか来ない災禍のためにビジネスの世界でできることは限られてきます。

例えば、ビジネスの世界でできるのは、災禍の影響をできるだけ小さくする努力をし、方針を立てる(もしくは立てておく)ことでしょう。

その場合、ファクトを正しく捉え洞察し意思決定するべきでしょう。データにもとづいたデータドリブンなビジネスです。

今回のまとめ

今回は、「データにもとづくポリティクスと意思決定」というお話しをしました。

投票し政治家を選ぶというシステムでは、自ずと人相手のポリティクスになってしまいます。

ポリティクスで考えると「票になるかどうか」、ビジネスで考えると「お金になるかどうか」ということが、重要視されることでしょう。

自然災害相手に、人相手にしたような対処をしたところで政治的な思惑は通じません。

人相手にするとき、ファクトを捻じ曲げ納得させてしまおうというケースが多々見受けられます。

しかし、自然災害相手にファクトを捻じ曲げてしまうと大変です。自然災害は、人がファクトを捻じ曲げようがお構いなしです。

もはや、データにもとづくポリティクスと意思決定が求められているのではないかと思います

これは、ポリティクスの世界だけの話しではありません。ビジネスの世界も同様です。

例えば、ビジネスの世界でできるのは、災禍の影響をできるだけ小さくする努力をし、方針を立てる(もしくは立てておく)ことでしょう。

その場合、ファクトを正しく捉え洞察し意思決定するべきでしょう。データにもとづいたデータドリブンなビジネスです。