ここ数年、ビッグデータ、AI(人口知能)、データサイエンス、IoT(モノのインターネット)、ディープラーニングなどと言ったキーワードがクローズアップされています。
データ活用への注目の表れでしょう。
企業内に蓄積されるデータは、ほぼ自動的に蓄積されるデータもあれば、人の手を介して蓄積されるデータもあります。
例えば、企業ホームページなどのアクセス解析ログなどはほぼ自動的に蓄積され、CRM(顧客管理システム)などのデータは人が入力することで蓄積されます。
近年まれにみるスピードで、データがどんどん溜まっています。
データで未来が開ける! と夢を見る
これだけデータが溜まれば、何かに活かせるのではないかと期待を寄せる人も少なくありません。
例えば、溜めたデータを活用することで、収益が拡大するかもしれないと心躍らせる経営者。
他にも、データを上手く分析することで、費用対効果の高いキャンペーンが実現できると期待に胸を膨らませるマーケター。データで受注確度の高い見込み顧客を絞ることができ、営業成績が上がるようになるのではと夢見る営業パーソン。
データに期待を寄せる人を、私は何人も見てきました。
立場や部署、ポジションなどによってデータ活用への期待を表す表現は違います。共通しているのは、データを集め分析し活用することで「収益の拡大」や「効率性の向上」が実現できるのではないかと、夢を見ていることです。
未来が開けるどころか、費用と時間の無駄である
このようなデータ活用への期待を裏付けるように、今までデータの蓄積に無頓着な企業も、データの「量」を増やし「質」を高めようと動き出しています。
多くの場合、「見える化」という号令のもと行われます。
具体的には、新たなデータを集め始めたり(量の増加)、すでに集めていたデータを見直したり(質の向上)しています。しかし、「見える化」の号令のもとでデータを蓄積した多くの企業は、データを上手く活用できず徒労に終わっています。
なぜでしょうか。
多くのケースでは、お金と時間を無駄にし、効率性が向上するどころか、非効率になっています。
ある悲しい大企業
ある悲しい大企業の話しです。
この企業は、ビッグデータという言葉に驚され、データ活用のために莫大なIT投資をしました。
IT投資をして、今まで収集できなかったデータを集めたり、外からデータを定期的に買ってきたり、分析基盤を整えたり、現場の人でも分析できるという前評判を信じBI(ビジネス・インテリジェンス)ツールを導入したりしました。
その結果、どうなったでしょうか。
実際は、発生したデータのための作業工数(例:データの整備作業、集計作業、分析作業、レポート化作業など)が莫大に増えました。そのための人材も新たに中途採用しました。
しかし、データ活用のために人を投入し時間をいくら割いても収益が拡大しない。
ましてや、今まで発生していなかった新たな作業工数が急増(例:データの整備作業、集計作業、分析作業、レポート化作業など)し、データ活用で効率化されているどころか、逆に非効率になっていました。
作業工数だけが増え、収益がびくともしないのですから、費用対効果の悪さは目も当てられません。
ビッグデータに振り回されている
つまり、多くの企業は、ビッグデータを使いこなし活用しているのではなく、ビッグデータに振り回されています。
実は、問題の根はもっと深いです。
ビッグデータに振り回されているだけなら、データ量やデータの種類を減らし、リトルデータを分析し、ビジネスに活かせばよいのです。
実は、ビッグデータだから活用できないのではなく、リトルデータすら活用する力がないのです。もちろん、すべての企業がそういうわけではありません。しかし、リトルデータすら活用できない企業が、実に多い印象があります。
これは、ビッグデータ云々以前の問題です。データをたくさん集めれば、何かができるほどデータ分析の世界は甘くありません。
仮に、すでにデータ活用で成果を出しているのなら、データ活用の成果を加速するために、ビッグデータを集めれば、良いことが起こることでしょう。
要するに、リトルデータ活用すらできない企業や人が、ビッグデータ活用を実現するのは無理です。50メートル走を10秒以内で走れない人が、すごいランニングシューズを履いても、100メートル走を10秒以内で走れるわけありません。
リトルデータ活用すらできない企業や人に共通していることがあります。
それは、「データの実務への活かし方の見当が付かない」、言い方を変えると「データ活用の勘所を掴めていない」ということです。データ分析に不慣れな人は誰でもそうです。データ分析に慣れている人も、最初はそうです。この「データ活用の勘所を掴む」という感覚を身に着ける必要があります。
要するに、問題の根は「データ活用の勘所を掴めていない」ことにあるのです。
ビッグデータどころか、リトルデータさえ活用できない悲しい現実が、日本社会にはあります。
では、どうすればよいのでしょうか。次回、お話しいたします。