同じファクト(事実)でも、そこから導き出される何かが、人によって異なります。
データ分析をしていると、このようなことは、よく起こります。
同じデータ分析結果に対し、どのように調理し味付けし、そしてアクションにつなげるのかは、人による部分が非常に大きいからです。
今回は、「データ分析の結果をどう扱うかで、垣間見れる人となりというかその人の哲学」のお話しをします。
裸足の国で靴を売るお話し
「裸足の国で靴を売るお話し」とは、マーケティングの世界でよく聞く寓話の一つです。
いくつかバージョンがありますが、あらすじは以下です。
- 靴メーカーのセールスマンのAさんとBさんが、ある国に行きました
- その国では、靴を履いている人がいませんでした
- そこでAさんは本社に「この国では靴は売れません。なぜならば、この国では靴を履いている人がいないからです」と報告しました
- しかしBさんは本社に「靴を大至急送ってください。なぜならば、この国では靴を履いている人がいないからです」と報告しました
「靴を履いている人がいない」というファクト(事実)は同じですが、そこから導き出されるアクションが人によって異なる、という例です。
データ分析・活用(データサイエンス実践)の世界では、こようなことはよく起こります。
古株データ分析者(データサイエンティスト)は哲学的になる
私が最初に配属された部署は、データ分析の専門部署です。
上は50代、下は20代と、世代はほぼ均等にいました。
歴史も古く、第2次世界大戦の終戦前からありました。
今でこそデータサイエンティストともてはやされていますが、昔から細々と社会に生存していました。
その部署の50代のベテランの方が……
「分析結果の解釈や提言って、
そのデータ分析者の人となりというか、
人間性というか、その人の人生感というか、哲学が垣間見れるなぁ~」
……ということを仰っていました。
それ以降私は、「データ分析から垣間見れる人となりというか哲学」を注意深く観察するようになりました。
面白いもので、50代のベテランが言っていた通りだったのです。
そして、ベテランのデータ分析者ほど歴史書や哲学書をよく読んでいることに気が付きました。
一方若手は、統計学やデータマイニング、分析ツール本などのようなものを、よく読んでいました。
データからわかるのは、世の中の一部だけ
当然のことですが、データは森羅万象をとらえたものではなく、世の中の極一部分を切り取ったものです。
そういう意味では、俳句のなような詩と似ている部分もありかもしれません。
俳句は、読者の想像力を喚起させ、作者の気持ちや状況、つまり侘びしい状況を理解させる力を持っているかと思いますが、読者の方でもそれなりの理解力のようなものが求められるでしょう。
データも同じような側面を持っています。
世の中の極一部分を切り取ったデータを分析結果という形で表現し、データを軸に起こった(これから起こる)状況を理解させる想像力を喚起させることが求められます。
俳句と大きな違いの1つは、データ分析の場合には作者は読者でもある、ということです。
自分がアウトプットした分析結果から、そのようなことに考えを巡らせ、データ外のことを洞察し、どのようなアクションにつなげるのかを、想像しなければならないからです。
缶ビールと紙おむつ
2000年前後のITバブルのころ、データマイニングブームというものがありました。
そこでよく出てきた事例に、「缶ビールと紙おむつのお話し」がありました。
データを見たら、「缶ビールと紙おむつが併買されている傾向がある」というものです。
データから新たな知見が発見された! という感じです。
新たな知見かどうかはさておき、「缶ビールと紙おむつが併買されている傾向がある」であったということを、データを使い世の中の極一部分を切り取った、ということです。
このようなデータ分析は、アソシエーション分析というものを使うのが、昔からのやり方です。
分析手法の話はさておき、このような分析結果を見て何をすべきを議論する場を設けたことがありました。
「缶ビールと紙おむつが併買されている傾向がある」という分析結果をもとに、何をすべきかを考えよう! という場です。
主な回答
「缶ビールと紙おむつが併買されている傾向がある」という分析結果をもとに、何をすべきかを考えよう! に対する回答は、主に以下の3つでした。
- 缶ビールと紙おむつを近くに置く
- 缶ビールと紙おむつを遠くに置く
- 何もしない(現状維持)
「缶ビールと紙おむつを近くに置く」という回答の理由の多くは、「缶ビールと紙おむつが併買されている傾向があるならば、近くに置いたらもっと売れるし、顧客にとっても嬉しい」という感じのものでした。
「缶ビールと紙おむつを遠くに置く」という回答の理由の多くは、「缶ビールと紙おむつが併買されている傾向があるならば、遠くに置いたら店舗内の移動距離が増え、他の商品が目につき買う可能性が高まり客単価が増える」という感じのものでした。
「何もしない(現状維持)」という回答の理由の多くは、「せっかく缶ビールと紙おむつが併買されているのに、商品の位置を変えたら併買されなくなるかもしれない。リスクを冒す必要はない」という感じのものでした。
何が正解かは、実施してみなければ分かりません。
ここで言いたいのは、同じデータ分析結果をどのように調理し味付けしアクションにつなげるのかは、人による部分が非常に大きいということです。
しかも、その人による部分というものが、人となりというかその人の哲学に、大きく依存することも少なくありません。
そのため、データ分析・活用には、単に数理的なナレッジやプログラミングスキル、ドメイン知識(データ分析・活用する現場の知識)などだけでなく、人文科学的なものやリベラルアーツ的なものも意外と重要になるのではないかと考えています。
今回のまとめ
今回は、「データ分析の結果をどう扱うかで、垣間見れる人となりというかその人の哲学」のお話しをしました。
同じファクト(事実)でも、そこから導き出される何かが、人によって異なります。
データ分析をしていると、このようなことは、よく起こります。
同じデータ分析結果に対し、どのように調理し味付けし、そしてアクションにつなげるのかは、人による部分が非常に大きいからです。
面白いもので、その人による部分というものが、人となりというかその人の哲学に、大きく依存することも少なくありません。
データ分析・活用には、人文科学的なものやリベラルアーツ的なものも意外と重要になるのではないかと考えています。