よくデータサイエンスなどのデータ活用のテーマ設定は、現場で上手くいっていないこと、要は出来ていないことが設定されます。
しかし、設定されたテーマ(現場で出来ていないこと)を見て、「そんなこと出来ている」と言う方がたまにいます。
出来ていないことを示す明らかなファクト(事実)を示してもです。
今回は、「テーマ設定で発生する現場とエライ人のすれ違い」というお話しです。
こんなこと出来ている
現場の方と一緒に、よくデータサイエンスなどのデータ活用のテーマ設定をしているときのお話しです。
テーマ設定をするとき、現場のお困りごと(問題)から始めることが多いです。
当然ですが、現場で上手く出来ていることが、現場からお困りごと(問題)として提示されることは、まずないです。
たまに、そのお困りごと(問題)を元に設定されたテーマ(現場が出来ていないこと)に対し、エライ人が一言……
「この程度のことは出来ている」
どういうことでしょうか。
現場から上がって来た声を無視するかのようです。
明らかなファクト(事実)を示しても無駄なこともある
そこで、データにもとづいたファクト(事実)を示すこともあります。
それでも一言……
「そんなことはない」
見たくないファクト(事実)に蓋をするかのような言いぐさです。
そんな人、本当にいるの??? と思われるかもしれませんが確実にいます。
現場を知らない???
あまりにも強情だと、単に現場を知らないエライ人、というレッテルが張られ信用が落ちるばかりです。
現場の人が出来ていないと言っているのに、出来ているはずだ、と言うのですから意味不明です。
そのエライ人は、本当に現場を知らないどころか、現場の声を無視し、見たくないファクト(事実)に蓋をする、どうしようもない人なのでしょうか?
視座の高さが違う
現場をよく知らないというのは確かでしょう。現場から離れて久しいからです。
もしかしたら、そのエライ人は物足りなさや違和感を感じ、現場のお困りごと(問題)を元に設定されたテーマに対し拒否反応を示したのかもしれません。
現場とエライ人では、視座の高さが異なります。当然、エライ人の視座は現場の視座よりも高く、見える範囲が異なります。
その高い視座から見て感じた違和感が、現場から上がって来たテーマに感じたのかもしれません。
そのあたりを意識してみると、そのすれ違いの原因が見えてくることがあります。
思いを言葉にできない
物足りなさや違和感は、言葉にして語らないと現場から見たら意味不明です。
現場から見たら、そのエライ人は、現場の声を無視し、見たくないファクト(事実)に蓋をする、信用のない肩書だけの人になり下がってしまいます。
お互い視座の高さの違いを意識し、歩み寄る必要があります。
ただ、視座を上げるのは非常に大変なため、エライ人が現場理解をするという気持ちで、歩み寄った方がいい気がします。
エライ人から歩み寄る気配がない場合、そのエライ人が感じている物足りなさや違和感を、誰かがヒアリングし明らかにする手間が発生します。
明らかにすべきは、見ているポイントや評価軸(多くの場合、無意識)、それを元にどう考えたのか、という思考過程です。
今回のまとめ
今回は、「テーマ設定で発生する現場とエライ人のすれ違い」というお話しをしました。
現場の方と一緒に、よくデータサイエンスなどのデータ活用のテーマ設定をしているときのお話しです。
テーマ設定をするとき、現場のお困りごと(問題)から始めることが多いです。
たまに、そのお困りごと(問題)を元に設定されたテーマ(現場が出来ていないこと)に対し、エライ人が一言……
「この程度のことは出来ている」
現場が出来ていないと言っているのに、一体どういうことでしょうか。出来ていないことを示す明らかなファクト(事実)を示してもです。
現場から見たら、そのエライ人は、現場の声を無視し、見たくないファクト(事実)に蓋をする、信用のない肩書だけの人になり下がってしまいます。
現場とエライ人では、視座の高さが異なります。そのあたりを意識してみると、そのすれ違いの原因が見えてくることがあります。
お互い視座の高さの違いを意識し、歩み寄る必要があります。